犀川[さいがわ]筋の見張りを兼ねた山城。信州新町和田之城から谷を隔てた南方にあり、牧之島城、麻績城といった更級・水内・筑北の狼煙ネットワークのひとつと考えられている。山頂の主郭からは抜群の展望が広がる。
岡澤先生の史跡解説
小松尾城は南北朝時代からあった古城で、中牧、弘前を本領とした地侍の中牧氏が在城した。川中島合戦当時、小松尾城は、大岡城と牧之島城を中継するノロシ台として重要視された。立地も大岡城と牧之島城を結ぶ線上にある。交通上も聖山の南西麓の筑摩郡麻績・日向から、大岡の市後沢、樺内、小松尾を経て川口、牧之島に通じる道路沿いに位置している要衝の地でもある。
この道は江戸時代にも重視され、松本藩の口留番所が桑関に、松代藩の口留番所が市後沢に設けられ、諸荷物の移出入を厳しく取り締まった。周囲には「うわほり」「したほり」「馬ならし」「西小屋」の城郭に関係する地名が伝えられている。 戦国期に中牧伊勢守、中牧越中守の名がみえる。永禄2年(1559)9月、伊勢守は武田信玄から中山の屋地に5貫文、芦沼に10貫文を与えられている。また信玄は、永禄9年(1566)9月に、中牧越中守に中牧のうち、上石津の荒れ地8貫文を与えている。
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