川中島の戦い・主要人物

土屋右衛門尉昌次(つちや・うえもんのじょう・まさつぐ)

[天文14年(1545)?~天正3年(1575)]
土屋昌次・昌続・晴綱・直村・信親、金丸平八郎
※武田二十四将の一人でもある。
武田の領国支配を中心的に支えた青年武将。 起請文のとりまとめ役も担った

甲斐の旧族で、信玄の守り役を務めた金丸筑前守虎義[かなまるちくぜんのかみとらよし]の二男。奥近習の一人として信玄に仕え、永禄4年(1561)第4次川中島の戦いでは初陣を果たし、本陣中央に備えた。上杉軍の攻撃が本陣にまでおよぶ乱戦のなか、信玄の側で奮戦したという。その後、頭角を現し、数多くの戦功により侍大将に抜擢。永禄11年(1568)頃には武田氏の譜代重臣・土屋氏の名跡を継いだと伝えられる。

有力宿老として家臣らの信頼も厚く、永禄9~10年(1566~1567)に信玄が家臣諸将に忠誠を誓わせた「生島足島神社の起請文」の一部取りまとめ役も担った。天正元年(1573)、信玄の訃報に接した昌次は殉死しようとしたが、高坂弾正忠に説得されて思いとどまったというエピソードも残されている。

天正3年(1575)、織田信長との長篠の合戦で、騎馬隊封じの馬防柵(馬止めの柵)を突破しようとして、鉄砲隊の一斉射撃を受け、戦死した。