川中島の戦い・主要人物
武田四郎勝頼(たけだ・しろう・かつより)
[天文15年(1546)~天正10年(1582)]
武田勝頼
- 諏訪家の名跡を継ぎ、武田家最後の後継者となった由布姫の子
- 長篠の合戦で惨敗。家臣の相次ぐ離反を契機に滅亡の道を歩む
勇猛な武将として名をあげ、徳川方の高天神城[たかてんじんじょう]を落とすなど武田の版図(領土)を広げたが、天正3年(1575)長篠の合戦で織田・徳川連合軍に大敗。多くの将兵を失い大打撃を受けた甲州軍は、家臣らの内紛も深めながら、弱体化の一途をたどっていった。
そして天正10年(1582年)、織田・徳川・北条連合軍の甲州攻めに遭い、追い詰められた勝頼は、天目山にて子の信勝とともに自害する。享年37歳。これによって名門甲斐武田氏は滅びた。