川中島の戦い・主要人物

横田備中守高松(よこた・びっちゅうのかみ・たかとし)

[長享元年(1487)?~天文19年(1550)]
横田備中守・高松・十郎兵衛
※武田二十四将の一人でもある。
敵の動きを機敏にとらえる抜群の合戦勘で、数多くの勝利を導いた知謀の将

横田氏は、近江源氏・佐々木氏の流れをくむ六角[ろっかく]氏。甲州に来て信虎に仕えた。信玄の代には騎馬30騎、足軽100人の足軽大将となり、甘利[あまり]隊の相備え[あいぞなえ]をつとめた。

合戦に34回出陣し、受けた刀傷は31カ所を数える猛者。敵がどこに来るのかをいち早く察知し、敵の裏をかきその場所を陣取る先手必勝を得意とした。信濃経略にあたっては第一線の部隊を率いて、天文15年(1546)の佐久郡志賀城攻めなどをはじめ、板垣信方[いたがきのぶかた]・甘利虎泰[あまりとらやす]・飯富虎昌[おぶとらまさ]らの侍大将に匹敵する活躍をみせた。隣国にもその武名はひびきわたり、敵を恐れさせたという。

天文19年(1550)村上義清の砥石[といし]城攻めで、味方の撤退を援護する殿[しんがり]をつとめ、最後まで敵地に踏みとどまり奮戦。村上軍の追い討ちによって横田隊は包囲され、1,000人の兵とともに討ち死に。信玄はいつまでも高松の死を惜しんだという。