川中島の戦い・主要人物
甘利備前守虎泰(あまり・びぜんのかみ・とらやす)
[生年不詳~天文17年(1548)]
甘利虎泰
※武田二十四将の一人でもある。
※武田二十四将の一人でもある。
- 板垣信方と並ぶ信虎時代からの重臣。戦わずして敵が逃げ出す甘利隊を率いる
信虎・信玄の二代にわたり仕えた屈指の宿老。板垣信方同様、信玄の重臣で最高指揮官「職[しき]」として活躍した。甘利家は、武田氏の始祖信義の子一条忠頼の末裔で、甲斐源氏一門の名族。
虎泰は信虎の初陣から側近として従い、内乱の甲斐国統一にも大きく貢献した。信虎追放のクーデターでは板垣信方らと組んで晴信(信玄)擁立をはかった。軍略家として抜きんでた才を発揮し、青年時代の信玄には合戦の駆け引きを教えたという。侍大将として常に先陣をつとめ、その凄まじさから戦わずして敵が逃げ出すといわれる甘利隊を率いて、豪傑の名をほしいままにした。天文17年(1548)村上義清との上田原の合戦で討ち死に。
『風林火山』の物語中、山本勘助が初めて武田家中の重臣たちと対面した時、「こいつ一人が厭な奴」として二人の軋轢を強調している。ちなみに虎泰の跡を受け継いだ息子の昌忠[まさただ](清晴とも)も、父に劣らぬ勇将だったが、家臣思いで部下から深く慕われたという。昌忠は第4次川中島の戦いで、高坂弾正忠昌信、飯富虎昌、真田幸隆らとともに妻女山攻撃の啄木鳥[きつつき]隊を率いた。