謙信鞍掛の松/会津比売神社

中央が謙信鞍掛の松

読みは「くらかけのまつ」、「あいづひめじんじゃ」。永禄4年(1561)の川中島の戦いで妻女山[さいじょざん]に本陣をかまえた上杉謙信が、山麓の会津比売神社に必勝を祈願したときに乗馬の鞍を掛けたという由緒を秘めた松の木。

昭和8年(1933)に「名松」の碑を建てるなど地元の人々の手で大切に守られてきたが、寿命で朽ちてしまい、昭和57年(1982)、有志が現在の場所に後継の松を植え、後世に伝えることにしたという。初代の松は大人二人が手で抱えるほどの老松だったともいわれる。現在の松は、会津比売神社の社殿へと続く石段の上にあり、そのすぐ下には「上杉謙信槍先之清水」と呼ばれる湧き水も流れ出ている(飲料は不可)。

会津比売神社は、信濃国造[しなののくにのみやつこ]の建五百建命[たけいおたつのみこと]の妃で、諏訪大神の後裔といわれる会津比売命[あいづひめのみこと]が主祭神とされる古社。現在も岩野地区の氏神様として深く敬われている。

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