永禄4年(1561)の川中島合戦で、武田軍の本陣に攻め入った謙信の太刀を信玄が軍配で受け止めたとされるエピソードから、海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)原作のNHK大河ドラマ「天と地と」の放映(昭和44年)を記念して建立された迫力のあるブロンズ像。馬上から斬りつける白頭巾の謙信、軍配団扇(ぐんばいうちわ)で受ける床几(しょうぎ※)の信玄は、第4次川中島合戦のハイライトである。 ※床几=折りたたみ式の腰掛け
「疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し」の風林火山の旗と、上杉方軍旗「毘」の旗がそれぞれの像の横にはためき、両雄激突の情景が見事に再現されている。
岡澤先生の史跡解説
龍虎一騎討の銅像は、グリ−ンスタンプ(株)春日靖広社長と青木電器(株)青木神木社長が、昭和44年(1969)に八幡社に寄進した銅像で、『甲越信戦録』に基づく造形である。
『甲越信戦録』は「謙信公はただ一騎で信玄公の床机(しょうぎ、床几)の元へ乗りつけ、三尺一寸の太刀で切りつける。信玄公は床机に腰を掛けたまま軍配団扇で受け止めた」とある。これに対し、『甲陽軍鑑』では馬上から切りつける謙信の太刀を、信玄は床几から立って軍配団扇で受けとめたと記している。また『川中島五戦記』では御幣川に馬を乗りいれ、川の中での太刀と太刀との一騎討ちである。床几に腰を掛けたままか、立ち上がったか、軍配団扇と太刀か、太刀と太刀かで受ける印象はずいぶん異なるであろう。
『甲越信戦録』の馬上から切り下ろす謙信の太刀を床几に腰を掛けたまま軍配団扇で受け止める信玄像から、いかなる困難に遭遇しても泰然自若として善後策を熟慮する人柄、家臣の才能に応じて適材適所に配置し、全体像を見ながら指揮する信玄の人物像が連想されるのではなかろうか…。この信玄像に対し、単騎で馬上から太刀を切り下ろす謙信像に、人に求めるものは自ら率先垂範する、一途な謙信の人柄が感じられるのではなかろうか……。
このように両雄の人柄がこの一騎討ち像に凝縮、具現化されていると思うと『甲越信戦録』の作者の洞察力の素晴らしさに頭が下がる思いである。
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