川中島の戦い・主要人物

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安田治部少輔長秀(やすだ・じぶしょうゆう・ながひで)

[生年不詳~天正10年(1582)?]
安田長秀・弥三郎
景虎時代からの側近として軍功多数の大剛の士
第4次川中島の戦い後、「血染めの感状」を授かる

揚北衆(あがきたしゅう・阿賀野川以北、現在の新潟県下越地方の有力国人)で安田城(新潟県阿賀野市保田)主。安田氏は、伊豆の豪族・桓武平氏の子孫・大見氏を祖とし、越後北蒲原郡白河庄安田条を領していた。長秀は、謙信の父長尾為景の代から臣属していたとされ、天文17年(1548)、長尾家中での景虎(謙信)擁立のクーデターにも参加した。

謙信が政権把握後は、関東や信濃へも参陣し、戦功を挙げた。永禄4年(1561)第4次川中島の戦いでは、武田信玄の嫡子・義信の隊を直江大和守景綱や甘粕近江守景持とともに苦しめたといわれ、戦後、謙信から「血染めの感状」※を授けられている。

 天正6年(1578)、謙信亡きあとの上杉家の家督争い「御館(おたて)の乱」では景勝方につき、軍功をたてた。天正9年(1581)、景勝に背いた新発田重家(しばた・しげいえ)の謀反鎮圧の陣中で病没したと伝えられる。

※「血染めの感状」……感状は配下の武将に合戦の武功を讃えて授ける書状。「血染め」と呼ばれるのは、合戦で死傷した一族や郎党らの死(血)の代償という意味によるという。