川中島の戦い・主要人物

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山吉孫次郎豊守(やまよし・まごじろう・とよもり)

[天文12年(1543)?~天正5年(1577)]
山吉豊守
外交に卓越した手腕を発揮。謙信の側近中の側近として軍政両面で活躍し、上杉家最高の軍役数を担った

蒲原郡山吉(新潟県見附市山吉町)の出身。代々、越後守護代の三条長尾氏の被官であり、三条城(新潟県三条市)を領した。

永禄10年(1567)以降、謙信の旗本として奏者(そうじゃ)を務め、信濃や関東地方の諸大名との交渉や派遣された諸将との連絡調整、国内での境界紛争の調停など、外交折衝に手腕を発揮した。永禄12年(1569)ころには主に小田原北条氏との折衝にあたり、越相同盟の締結にも尽力した。また、触れ書きや禁制の制定にもあたっていたという。

謙信からの信頼は厚く、天正3年(1575)の「上杉家軍役帳」には、旗本・譜代として、鑓(槍)235丁・手明(兵糧を積んだ馬を引く兵)40人・鉄砲20丁・大小旗30本・騎馬52騎、計377人という謙信指揮下の諸将のなかで最大の軍役を担っていた。

天正5年(1577)病没。家督は弟の景長が継いだ。