川中島の戦い・主要人物

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武田太郎義信(たけだ・たろう・よしのぶ)

[天文7年(1538)~永禄10年(1567)]
武田義信
武田家の後継者と目されながら、父・信玄と対立を深め自害した悲劇の将

武田信玄の嫡男。母は三条夫人。信濃・伊那攻めで初陣を飾り、各地を転戦。第4次川中島の戦いでは、旗本50騎、雑兵400騎を率いて武田家の総領の名に恥じない戦いぶりをみせ、二カ所に手傷を負った。小説『風林火山』の川中島の戦いでは、押し寄せる上杉軍から父・信玄を救うため敵本陣に斬り込もうとした義信だったが、武田の血を一人でも絶やさぬようにと山本勘助が代わりにその役を引き受け、謙信の首めがけ修羅場の中に突っ込んでいくクライマックスシーンが描かれている。

武田家の後継者として目された義信だったが、今川義元の長女を正室に迎えていたため、桶狭間[おけはざま]の戦いで織田信長に敗れ弱体化した今川氏を攻略しようとする父・信玄との対立を深める。永禄8年(1565)、叛意を問われた義信は甲斐の東光寺[とうこうじ]に幽閉、守り役の飯富虎昌[おぶ・とらまさ]は処刑される。2年後の永禄10年(1567)、義信は自害。翌年より信玄は今川氏の駿河侵攻を開始したのであった。