川中島の戦い・主要人物

曾根下野守昌世(そね・しもつけのかみ・まさただ)

[生年・没年不詳]
曾根(曽根)昌世・昌清・内匠助[たくみのすけ]・孫次郎勝長・右近助
※武田二十四将の一人でもある。
信玄の薫陶を受けた直参の将。主君の一眼となって多方面に奔走

曾根氏は甲斐源氏の一族で、武田氏譜代の重臣。虎長[とらなが]の嫡子とされる昌世は、はじめ信玄の奥近習衆として側に仕え、薫陶を受けながら成長。永禄4年(1561)第4次川中島の戦いでは本陣中央を守り、永禄期末には足軽大将に出世した。

情報参謀として国内外の情勢に目を光らせ、また合戦の際は検使[けんし](戦場を視察し確認する役)となって各部隊の戦況を本陣に報告する役目を果たしていたといわれる。武藤喜兵衛(真田昌幸)とともに、信玄に「わが両眼のごとき者」と言わしめ、厚い信望を得ていた。勝頼の代には、駿河の興国寺[こうこくじ]城(静岡県沼津市)の守将となった。

天正10年(1582)武田氏滅亡後、織田・徳川氏に従うが、後に天正18年(1590)、豊臣秀吉による北条氏の小田原攻め後には徳川氏を離れ、会津の蒲生氏郷[がもう・うじさと]に仕えたといわれる。