川中島の戦い・主要人物

秋山伯耆守信友(あきやま・ほうきのかみ・のぶとも)

[大永7年(1527)?~天正3年(1575)]
秋山信友・春近・晴親
※武田二十四将の一人でもある。
伊那郡代として高遠城・飯田城を守衛

武田氏に仕えた甲斐源氏の一族・秋山氏12代目の当主で、父は新左衛門信任[しんざえもんのぶとう]。天文11年(1542)の諏訪攻めでは初陣を飾り、天文15年(1546)頃には、侍大将となる。外交的手腕に長けていたといわれ、伊那平定後は伊那郡代・高遠城の衛将、飯田城代となって美濃の織田信長に備えた。

西上作戦の別働隊長となって岩村城を攻略し、信長の叔母を妻に迎える

元亀3年(1572)信友は、信玄の上洛軍の別働隊を率いて東美濃に侵攻し、岩村[いわむら]城(岐阜県恵那市岩村町)を攻略。織田信長の叔母(遠山氏)を妻にして、城主となる。

天正3年(1575)、長篠の戦いで勝頼が敗れると、信友は織田軍に降伏。信長は信友を許さず、家臣と叔母である遠山氏もろとも長良川の河原で磔刑[たくけい、たっけい](はりつけ)に処した。なお、川中島の戦いでは、信友は織田軍の牽制のため参戦はしていない。