耕心庵

縁起によると、永禄4年(1561)の川中島の戦い後、武田信玄は善光寺平を一望できる茶臼山の中腹から自領を視察したところ、戦乱で荒廃した村里を見て心を痛めた。そこで激戦で犠牲になった数多くの人々の菩提と、これ以上川中島に上杉軍が出兵しないことを願って、高坂弾正に命じて禅寺「法性院甲信庵」を建立させたと伝わる。

本堂には信玄が寄進したという青面金剛像が安置されている。

岡澤先生の史跡解説

耕心庵は、茶臼山の南東斜面、市立動植物園に行く途中、篠ノ井柳沢にある。主要地方道戸隠・篠ノ井線を入ると、集落の道側に「信玄公発願寺耕心庵」の標識がある。この寺の東側境内高台には、信玄が川中島を望見したという国見台、本堂には、信玄寄進と伝える青面[しょうめん]金剛像が安置されている。

耕心庵の縁起について記した「玄峰院校割筆記写[げんぽういんこうわりひっきうつし]」に、永禄4年(1561)10月、武田信玄が「この地に禅寺を建立して、法性山甲信庵と名づくべし」と海津城代高坂弾正に命じて建立させ、寺領46貫を寄進し、玄峰院2世、宗益を住職として迎え開山とした。信玄が耕心庵に与えた寺領寄進状などは、本寺の玄峰院(篠ノ井岡田)にあったが、玄峰院は、寛政6年(1794)に火災にあい、古文書類も焼失したという。開山宗益の記した「校割筆記写」が、長野市立博物館に青木家文書として保存されている。

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