読みは、旧「さんぜんじ」観音堂。寺伝によると天文12 年(1543)、戸隠(とがくし)奥院円明坊(佑)弘が、天台末派になることを条件に、戸隠一山の力を借り、十二坊を構えて開基。永禄4年(1561)第4次川中島の戦い前後、戦火によって焼失し、武田信玄の援助を受けた。
その後、丸山家が観音堂を建立し、戸隠山末寺となったが、堂宇ともに焼失。やがて衰亡し、1700年代に中興。文政4年(1821)武田信玄家臣の丸子弥平太直久を祖とする八代目、丸子右衛門直頼が本尊を奉戴(ほうたい)して再建した。当初は現在の場所より下の平地に建っていたという。明治維新後は、天台宗の善光寺大勧進末寺となった。
京都の清水寺を模した懸崖造り(けんがいづくり)で、飛鳥仏の面影を残す銅造観音菩薩立像は国重要文化財。7世紀後半の作とされ、長野県下で最古の仏像である。観音堂へ続く石段前には「信玄駒つなぎの桜」と呼ばれるしだれ桜の大樹がある。川中島の戦いを前に、武田信玄が勝利祈願をした際、馬を繋いだとの伝説をもつ。
観音堂からは、三登山(みとやま)へのトレッキングコースも整備されている。
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