長野市中氷飽(なかひがの)・陣場(じんば)にある。川中島の戦いで、激戦場となった陣場には、この地を開拓した青木家祖が勧請した青木神社があったが、永禄年間中(1558~1570)、兵火のため焼失した。合戦中は武田軍の陣屋となり、武神の誉田別命(ほんだわけのみこと)を奉り武運長久を祈願した。
永禄4年(1561)9月、第4次川中島の戦い・八幡原の激戦で攻勢に転じた武田軍は、上杉軍を犀川の向こうへと追いやり、この神社で勝鬨(かちどき)をあげたという。こうしたことからこれ以後、八幡社一帯を陣場河原、青木神社を「勝鬨神社」と称するようになった。境内の中央にはかつて土俵があり、奉納相撲も行われていたという。
以前は周囲に桑畑が広がっていたが、現在はすっかり住宅に囲まれ、唯一往時を偲ばせる一画となっている。
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