茶臼山(本陣跡)

茶臼山 遠景

川中島平西部、千曲川左岸(犀川右岸)にある標高730mの山で、信玄が一時本陣を構えたといわれる。南北に広がる善光寺平を眼下に見下ろす好位置にある。

永禄4年(1561)8月、上杉謙信は1万3千の兵を率いて犀川と千曲川を渡り、海津(かいづ)城を見下ろす妻女山(さいじょさん)に陣をとった。急報を受けた信玄は甲府から進軍し、茶臼山に本陣を構え、謙信の退路を断った。10日以上両者のにらみ合いが続くが、やがて信玄は茶臼山を降り、海津城に全軍を集めて、9月10日、啄木鳥(きつつき)の戦法にかかる。以前は北峰と南峰があったのが、大正時代に地滑りが発生し南峰がなくなったという。頂上近くには本陣跡の碑が建っている。

現在の茶臼山東山腹は、茶臼山自然史館や33haの広さを持つ茶臼山自然植物園、アスレチック施設「冒険の森」、実物大に再現した恐竜模型が迫力の恐竜公園が整備され、家族連れなどで賑わう憩いの場となっている。園内には長さ300mの藤の大トンネルもあり、5月中旬が花の見頃。

岡澤先生の史跡解説

武田信玄は有旅(うたび)の茶臼山に本陣を構え、脇備えとして石川茶臼山に砦を築き、弟信廉(のぶかど・逍遥軒)を守将として、妻女山に籠る謙信の動静を監視させた(『石川村誌』)。この石川砦は茶臼山本陣と相対し、海津城へは約5Km、茶臼山本陣に比べて1Kmほど近く、川中島地方が一望できる好位置にある。こうした点で茶臼山本陣の場所に有旅、石川の両説が生まれた。

井上靖の小説『風林火山』には、8月18日に古府を出発した本隊1万は、大門峠を越え、21日上田に到着し、22日まで同所に宿営した。信玄は23日、南信3千、北信5千の兵を加え、24日払暁千曲川を渡って川中島に進出、妻女山の謙信勢に相対して布陣したとある。

耕心庵寺伝によると、合戦後、信玄は海津城将の高坂弾正らの将兵を引き連れて川中島の地を巡察した。そのおりに茶臼山の中腹柳沢で駕籠から降りて休息した。川中島合戦で荒廃した眼下に広がる村里を望見した信玄は、八幡原の激戦で犠牲になった多くの人々の菩提と、この川中島に上杉軍が出陣しないことを願い、高坂弾正に、「この地に禅寺を建立して、法性山甲信庵と名づくべし」と命じ、信玄持仏の青面金剛像を奉納したという。

武田信玄奉納と伝える川中島地方の仏像は、安養寺の懐中仏不動明王像(青木島町大塚)・讚楽寺の甲仏(川中島町戸部)・広徳寺の弁才天像(若穂保科)がある。

アクセス
JR篠ノ井駅より車約15分